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額賀澪のメシノタネ小説家とメレンゲ――独立に必要な貯金額

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小説家・額賀澪が「好きなことを仕事にする人たち」をテーマに書き下ろすエッセイ「メシノタネ」。#08のテーマは、独立するのに必要な貯金額と、独立は本当に「捨て身の片道切符なのか」について。

プロフィール

小説家額賀澪

1990年、茨城県生まれ。東京都在住。日本大学芸術学部文芸学科卒。広告代理店に勤めた後、2015年に『屋上のウインドノーツ』で松本清張賞を、『ヒトリコ』で小学館文庫小説賞を受賞し、デビュー。その他の著書に『タスキメシ』『転職の魔王様』などがある。

 このエッセイの担当編集であるMARUさんと神楽坂で打ち合わせ中に、こんな質問をされた。

「額賀さんが専業作家になったときのざっくりとした貯金額が知りたいです。独立するか悩むとき、まず気になるのってお金のことじゃないですか」

 場所は神楽坂の洋菓子店「Aux Merveilleux de Fred」だ。前回のエッセイでも登場した店である。

 どうして2回連続で同じ店なのかというと、前回のエッセイを読んだMARUさんが「行ってみたい~!」と言うので、打ち合わせ場所をこの店にしたのだ。

「金額をぶっちゃけちゃうと、貯金用の口座には■■■万円くらいありましたね」

「うわ~金額を聞くと生々しい~。エッセイでは一応伏せ字にしましょうね」

 我々が注文したのはAux Merveilleux de Fredの看板メニューと言ってもいいメレンゲ菓子・メルベイユである。サクサクのメレンゲにチョコレートホイップをのせて、チョコチップで包んだお菓子だ。

 メルベイユとはフランス語で「驚異的」という意味らしいが、その名の通り驚異的にサクサクふわふわである。何より甘すぎないのがいい。

 若い頃は「スイーツを“甘すぎない”と褒めるのはスイーツのアイデンティティを崩壊させる」などと本気で思っていたが、30歳を過ぎたらスイーツはとにもかくにも甘すぎないのが美味しいと思うようになった。

「えーと、じゃあ、生々しい金額を伏せて話すと……会社を辞めて、小説の仕事が突然途絶えても、3年くらいは何とか生きられそうな金額ですかね」

 人によって家賃や食費、趣味やその他諸々に費やす金額は変わるだろうが、当時の私は「小説を書く以外に特に趣味もないし、余裕で3年は暮らせるな」と自分の預金通帳を眺めていた。デビュー時の賞金で奨学金を完済していたのも大きい。

 サクふわのメレンゲ菓子とは対照的なシビアなお金の話題だが、困ったことにお金の話は盛り上がるのだ。

「確か、デビュー直後に大先輩の作家さんに『専業作家になりたいならとにかく貯金。3年仕事がなくても生きていけるように』と言われたので、それを目安に必死に貯金してたんです」

「その3年って何か根拠があるんですか? ほら、新入社員はとりあえず3年働け的な、特に根拠のない数字のパターンもあるじゃないですか」

「小説は構想から刊行まで1年以上かかりますからね。労働がお金になるまで時間がかかることを踏まえての3年なんじゃないかと。あと、単行本として売られた小説が文庫化されるのも2-3年後が多いので、それも関係してるのかも」

「文庫化って、一度売った商品が再び新商品としてお金になるってことですもんね」

「1つの小説が作者にお金をもたらすサイクルを考えての3年なのではないかと思います」

 といっても、この数字をどこまで信じていいのかは、私も正直あまり自信がない。

「改めて考えると、貯金額はもちろんですけど、仕事の見通しがどれだけ立ってるかも大事だったと思いますよ」

「どれくらい執筆の依頼が来てるかどうか?」

「今年はA社とB社から単行本が出て、C社から文庫化が1冊。来年はD社とE社から新刊が出て、再来年にはA社から出した単行本が文庫化かな? みたいに見通しが立てば、自分の収入がある程度予測できるので、そのうえで『会社を辞めて大丈夫か?』と考えたり、逆に『会社員をやりながらこの仕事をこなせるか?』と考えるのがいいかと」

 しかし、どれだけ貯えを用意して専業作家になったところで、人生は何があるかわからない。依頼されていた仕事が本当に実現するのかもわからない……というのは、以前このエッセイでも書いた。

「でも、突然のトラブルに対応できるだけの貯金はやっぱり必要ですね」

「私も額賀さんみたいに20代で独立したから、すごーくわかる。若い頃は『稼げなかったらバイトすればいいや~』って思ってたけど、30代、40代になるとそうも言ってられないのが悲しいところですよね~」

 ホイップクリームとメレンゲを口に運びながら、MARUさんが思い出したように「あ、でもね」と私を見る。

「この仕事してると、いろんな人に言われるんですよ。『会社から独立して仕事するなんて、さぞ苦労しているでしょう』って。確かに大変は大変だけど、大変なのは別に会社員だって同じだし、会社員→フリーランスって流れを、後戻り不可能な命懸けの選択みたいに考えるのはよくないなって思うんです」

「何かのタイミングで会社員になることもできますからね」

「そうそう! フリーランスとしてちゃんと実績を作っていれば、会社員に戻るって選択肢も自然と手に入るから」

 専業作家でもこれはある。兼業作家から専業作家になったけれど、さまざまな事情で兼業作家に戻ったという人だっている。

 私もかつてそうだったからよくわかるのだが、会社員をしていると、独立というものを「捨て身の片道切符」と考えてしまいがちだ。

 でも、いざこうして専業作家を何年もやってみると、意外と「専業・兼業」「会社員・フリーランス」はもっと柔軟に行き来できるもののように思える。

「私の仲良しの作家さんにも、20代でデビューして、その後長く会社員生活を送って、40代で再デビューした人がいるんですよ」

 その人は清水朔さんといって、2001年に集英社のコバルト文庫のノベル大賞を受賞してデビューし、なんやかんやあって一度は作家業を離れ(詳細に触れると長くなりそうなので、いつかご本人がエッセイで書いてくれることを期待)、2018年に新潮社から再び本を出した。

 何の偶然か、その新潮社は今回の舞台であるAux Merveilleux de Fredのすぐ側である。だから清水さんのことを思い出したのかもしれない。

「すごい、ベテランなのか新人なのか迷うところですね」

「本人は新人だと言い張ってますが、どう見ても作家歴20年越えの大ベテランですよね。作家歴ロンダリングしてるんですよ」

 ロンダリング云々は置いておいて……人生の折々でその人の事情に合わせて柔軟に働き方を選択できるのは精神衛生上とてもいいし、それができる自分を維持し続けるというのも、独立に必要なことなのかもしれない。

 MARUさんの言う通り、どちらの立場でもしっかり実績を作っていれば、自分の状況に合わせて選ぶことが可能になるのだから。

 なんて思いつつ、私は今から会社員に戻れるだろうか? フリーランスが肌に合いすぎて、今から組織に属するのは無理なような気がしなくもない……。

 今日の打ち合わせをそのままエッセイにしましょうと話して、ブリオッシュを買って帰ることにした。

作家歴ロンダリングな清水朔さんとの思い出(写真/額賀澪提供)

額賀澪新刊「青春をクビになって」

この記事を書いた人

額賀澪
額賀澪小説家
小説家、ときどき大学講師。 青春小説やスポーツ小説をよく書きます。強み:面白いと思ったら何でも小説にしたがること、休みがいらないこと。弱み:小説にしても面白くなさそうなものに興味が湧かないこと。

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