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インタビュー

元 AKB48「なりたい自分になれなかった」3つの挫折から女性起業家に。挫折から得たヒントとは? (起業家・冨田麻友/第1話)

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アイドル、ダンサー、CA……。幾度もの挫折を乗り越えて起業家の道を選んだ元 AKB48 の冨田麻友さん。挫折の乗り越え方や、挫折経験をビジネスにつなげるヒントを伺った。

プロフィール

元アイドル、現株式会社 BEYOULIFE 代表冨田麻友

5 歳でダンスをはじめ、15 歳で AKB48 の 5 期研究生オーディションに合格し芸能活動を開始。18 歳で単身NY へ移り、3 ヵ国に住み 13 ヵ国以上の国を訪問。帰国後 CA を目指すもコロナ禍により断念、一念発起しBEYOULIFE の事業をスタート。現在英・芸・農を軸に事業を展開中。

15歳でAKB48の第5期研究生として活動を始めるも、セレクション審査で選ばれず、アイドルに挫折。ならばとプロのダンサーになろうとしたけれど、留学先でレベルのちがいを見せつけられて挫折。これまでの経験を生かしてCAを目指すも、コロナで採用活動が中止になり挫折……と3度の大きな挫折を味わった冨田麻友は、そこからどうやって起業家になったのか?彼女が見い出した起業のヒントと挫折を次に生かす方法について、話を伺った。
*全2話、後編はこちらからどうぞ

【第 1 の挫折】夢を叶えてAKB48 に。アイドルになったはずが……

写真/田尻陽子

元AKB48で、海外生活を経て、現在は起業家。人生が目まぐるしく変わっている印象です

立ち上げました。まず初めは自分の周りの人にオンラインで英会話を教え出したことをきっかけにスタートしました。
現在は JAPO®︎のアンバサダーとして、海外進出支援やVIP 対 応 、クラウドファンディングのサポートを行いつつ、司会など芸能のお仕事も続けています。
自身の実家の田んぼで出来たお米のブランディングも行なっており地方と世界を結ぶようなお仕事をしたいと思っています。

アイドルには、小さいころからなりたかったんですか?

人前に出るのがとにかく大好きで。5 歳のときからダンスでステージに立つのが大好きだったんですよ。AKB48が初めてミュージックステーションに出て「スカートひらり」を歌ったのをたまたまリアルタイムで見ていて、「私これ受ける!」って母に言ったのを覚えてます。

写真/田尻陽子

すごい決断力ですね!

ダンスで「真ん中になりたい」みたいな感覚で、とにかく選ばれたかったんです。いろいろなアイドルのオーディションを受けて、すんなり受かったのがAKB48の第5期研究生オーディションでした。
でも、セレクション審査では選んでもらえなくて、卒業したんですけどね。

落とされた理由はなんだったと思いますか?

私が求めていたアイドル像と、AKB48 で求められるアイドル像が違っていたところが大きかったと思います。
メンバーがそれぞれ自分を売り出すための「キャラクター」を決めるなか、私はそれができませんでした。15歳の若さで自分を1つの枠組みにはめることが、私にはできなかったんです。
セレクション審査で落ちても、再挑戦しようと思えば、再度AKB48のオーディションに挑戦することもできました。でも、「選ばれたい」がモチベーションだった私にとって、選ばれなかったことは悔しかったけど、そこに再挑戦するのも悔しかった。
だから、「もうアイドルはいいかな」って思ったんです。わたしには、もっと見たい世界がたくさんあったので。

成功の秘訣は「自分の強みを自覚すること」AKB卒業の挫折から救ってくれた自分の強み

写真/田尻陽子

高校生の女の子にとって一番の夢である「アイドルになること」よりももっと見たかった世界とはどんな世界なのでしょう?

わたし、どうしても海外に行きたい、と思っていたんです。
小さいころからダンスを習っていたので、洋楽に親しんでいたし、アメリカ人の先生にずっと英会話を教わっていたので、勉強は苦手だったけど唯一英語は得意だったんですね。
英語と海外っていう世界が、「アイドルの世界じゃなくても素敵な世界があるよ」、って、アイドルに挫折したわたしを救ってくれたんです。

写真/田尻陽子

ご自分の強みが挫折から救ってくれたんですね。

もし私に英語っていう武器と海外に行きたいっていうビジョンがなかったら、なんとかしてAKBに残ろうとしていたんじゃないかと思います。

【第 2 の挫折】プロのダンサーになるためにダンス留学したもののの挫折

写真/田尻陽子

高校卒業後、海外に行くために、アメリカの大学に編入できる専門学校のコースに進学したんですね。留学はすんなりできたのでしょうか?

それが、「海外に住みたい!」という思いが先走っていて、大学で何を勉強するかまで考えていなくて(笑)。編入できるまでに至りませんでした。

それで次は「ダンス留学するぞ」と海外へ行く手段を変えたんですね。

プロのダンサーになりたくて。 当時のアイドルは、歌や踊りがそんなに上手じゃなくても人気が出たんですけど、私は AKB48 にいたころから、もっとダンスや歌を極めたかったんです。

写真/田尻陽子

アイドル時代の想いが、留学に繋がったんですね。

「私はダンスを突き詰めてやる!」と思ってアメリカのブロードウェイにダンス留学しました。でも、現地でレッスンを受ける中で周りとのレベルの違いを目の当たりにしたんです。ダンスは得意だと思っていたから本当にショックでした。

そんなとき、AKB 時代のことは思い浮かべたりしましたか?

「みんな頑張ってるんだろうな」って思っていました。
負けたくないなとも思ったし、なにくそ、私もがんばるぞ、って。
でも、週2ぐらいでいろんなダンスのレッスンを受けていたんですが、あるとき「これを仕事にすると、私ダンスが嫌いになる」と思ってしまったんです。それで、ダンサーになることを諦めました。

成功の秘訣は「切り替え力」挫折しても柔軟に別の道を探す

写真/田尻陽子

ダンサーとして生きることをあきらめたのは大きな挫折だったと思います。かなり落ち込んだのではないでしょうか。

それが、落ち込んでいる暇なんてなくて、次へ次へ、っていう感じでした。

何度挫折しても次の道に踏み出すことは、なかなかできないことだと思います。

わたしはいい意味でも悪い意味でも柔軟なんだと思います。何かひとつ上手くいかなかっただけであきらめてしまう方もいるかもしれませんが、わたしはそうは思っていません。予定は未定、どうにでもなると思っています。

写真/田尻陽子

その切り替えができる力、すごいですね!

ダンス留学を終えた後、まずスウェーデンに行きました。その後一度帰国して浅草のゲストハウスでレセプション業務をしました。次にオーストラリアに行ってファームステイを体験したんです。

オーストラリアの農家は、日本の農家とどう違いましたか?

私の実家は農家なのですが、日本の農家ってすごく泥臭いイメージなのに、オーストラリアのファーマーって本当にかっこよくて驚きました!現地のカフェやレストランからファーマーがすごくリスペクトされていて。「日本と全然違うな、うちの実家も農家なのにな」って思ったんです。

ご実家が農家だからこそ、農家のイメージがガラッと変わったんですね。

そうですね、変わりましたね。ファームステイでの経験が、今の農業ビジネスに繋がっています。実家の農家を継承することにしたんです。

【第 3 の挫折】経験を活かして CA を目指すも、コロナ禍で断念

写真/田尻陽子

芸能活動の再開は 2018 ミスユニバースジャパン香川大会になるかと思いますが、それはお兄さんがきっかけだとか。

兄が職場でチラシを見つけて教えてくれたんです。当時、ビザの更新も兼ねて一時帰国していて、勢いで受けてみたら、運よく準グランプリをいただくことができたんです。そのときに「もう一度芸能活動をやってみよう!」と、気持ちに火が付きました。
いくつかのミスコンテストに出たりグラビアを出したり、地元イベントの司会やアンバサダーをお引き受けしたり、と少しずつ活動の幅を広げていきました。

”元AKB”と言われることについては、嫌じゃなかったですか?

最初は元AKBの冨田麻友とだけ紹介されるのが物足りないと感じていました。でも、地元の方がすごく喜んでくれたんですね。「元AKBの富田さんがうちの店に来てくれました!」ってSNSに載せたりしてくれる。私の”元AKB”っていう経験がこんなに人を喜ばせるんだったら、別にいいじゃん、って思えるようになったんです。
以前は相手中心で「一緒にやっているスタッフさんに好かれたい」「みんなに好かれなきゃならない」と思っていましたが、今は自分ファーストな感じで。捨て身というか、もう隠すものが全然ないので、すごく楽にやれています。

写真/田尻陽子

芸能活動以外にも、CA になる勉強をしていたと伺いましたが……。

芸能活動を行う一方で、これまでの自分の経験を生かせるのではないかと思った仕事がCAでした。「CAなら海外での経験や、芸能活動で身に着けたコミュニケーション力を活かすことができる!」と思ったんですね。

確かにCAなら、今までのいろいろな経験が生かせそうですね!

でも、CAを目指してスクールに通い始めた2020年は、運悪くコロナ禍の最初の年でした。ご存じの通り結果的にCAの採用はすべてストップし、CAになることはおろか、試験さえも受けられなかったんです。

そうだったんですね…。本当に様々なところで、新型コロナの影響が出ていますよね。

当時は、試験を受けられないことがショックで夜も眠れませんでした。

起業のヒントは過去の経験の中に眠っている

CAにはなれませんでしたが、せっかく学んだ英会話を始め、様々な知識を活かしたいと思いました。
そう思ったとき、日本って素晴らしい国で、海外の方もおもてなしを期待してきているのに、英語力のせいでおもてなし力が発揮できていない事に気がつきました。

写真/田尻陽子

それを強く感じたのはどんなときですか?

浅草のゲストハウスで働いていたとき、とても接客の上手な先輩がいたのですが、先輩は英語が苦手で……。外国人のお客様が来ると、英語が苦手なせいですごく子どもっぽい接客になってしまっていたんです。当時それがすごくもったいないなあ、と感じていて。

ゲストハウスでの経験がここで生きてくる!

接客業をやってる方がもっと簡単でいいので英語ができるようになったらいいなと単純に思って、そういう研修を調べたらあまりピンときたのがなかったので、じゃあ私が何かやってみよう、と思って、英会話を教えるようになりました。最初は知人から、段々と広げていきました。

CA を目指したことが、次のステップにつながったんですね!

そうなんです。さらに、生徒さんの一人からある異業種交流会へのお誘いをいただいたのが、起業のきっかけになりました。
はじめは「外国人のメンバーと交流したいけれど英語の自信がないから一緒に来てほしい」という通訳の依頼だったのですが、面白そうだなと思って、私もメンバーに入れていただいたんです。

写真/田尻陽子

えっ、それまでは特に起業を考えていなかったということですか?

はい、全く考えていませんでしたが、交流会の皆さんがいろいろアドバイスをくださって、起業にこぎつけることができました。

どうして起業しようと思われたのでしょうか?

元アイドルが片手間でやっている、みたいに思われたくなくて。「そうじゃない!結構ガチなんだぜ!」っていうのを分かってもらいたかったんです。
個人事業主よりも会社の方が信用されやすいみたいで。
実際に、思い切って会社にしたら、どんどん大きい会社と商談できるようになったり、もっと上の立場の方とお話ができるようになったりしてきました。

”起業”という覚悟が、信用を上げるんですね。

立ち止まって振り向いたら、やってきたことがつながった

写真/田尻陽子

お話を伺っていて、数々の挫折を乗り越えながら、ご自身のこれまでの体験をとても上手く次のステップに繋げているなあ、と感じます。

Youtube で、たまたまスティーブ・ジョブスのスタンフォード大学でのスピーチを観る機会があって。「前を向いて点をつなげることはできないけれども、後ろを向いたときに、点をつなげることができる」と言っているのを聞いて、なんだか腑に落ちたんです。

”後ろを向いたとき”、というのがコロナ禍だった、ということでしょうか。

そうだと思います。私はずっと、お金をためては海外でいろんな体験をしたり価値観を吸収したり、ミスコンに出てステータスを積み上げたり、ずっと前を向いて自分の付加価値をひたすらプラスするだけで、後ろを振り返ることがなかったんです。
このコロナで海外に行けない状況になり、一旦立ち止まって自分と自分のやってきたことに向き合ったことで、それらを結びつけることができた、っていう感じですね。

写真/田尻陽子

できない状況も悪くない、ということですか?

見方によって変わるんじゃないかと思います。今私は、ベトナムで®︎MIKODOLL という、巫女をコンセプトにしたアイドルをプロデュースしています。アイドルを挫折してしまった私が、まさかアイドルをベトナムでプロデュースなんて思ってもみませんでした。これも、一回立ち止まったからできたことだと思うんです。もう人生面白いなあ、と思っています。

取材/I am 編集部
文/堀中里香
写真/田尻陽子

この記事を書いた人

I am 編集部
I am 編集部
「好きや得意」を仕事に――新しい働き方、自分らしい働き方を目指すバブル(の香りを少し知ってる)、ミレニアム、Z世代の女性3人の編集部です。これからは仕事の対価として給与をもらうだけでなく「自分の価値をお金に変える」という、「こんなことがあったらいいな!」を実現するためのナレッジを発信していきます。

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