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“哲学では飯は食えない”は半分本当、半分嘘!? 哲学者・苫野一徳さんインタビュー 第1話

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小学1年生の頃から「なぜ生まれてきたのか?」に苦悩し、20代で躁ウツ病に苦しむ。そんな葛藤を経て、哲学・教育の道へ。今最も注目を浴びる哲学者・苫野一徳さんに、働き方の哲学を伺いました。

「私たちにとって労働とはいかなる意味があるのか」を哲学的思考で見てみたら……。「働くこと」と「生きること」について思考をめぐらさなかった人はほとんどいないと思います。長い歴史を振り返れば、多くの哲学者がこの難問に臨み、普遍的な答えを導きだしました。
今最も注目を浴びる哲学者・苫野一徳さんに、働き方の哲学を伺いました。

全2話、後編はこちらからどうぞ。

子どもの頃から哲学者

私は現在、熊本大学教育学部の教員をしながら、哲学者をしています。この“哲学者“と名のれることを、とてもありがたく感じています。というのも、私は小学1年生ぐらいからずっと「なんで生きてるんだろう」「なんで生まれてきたんだろう」ということばかり考えていたので、周りの友だちから

「ハイハイ、もう面倒くさいことはいいよ」

と言われ、それによって孤独感にさいなまれてきたから。だから、“哲学者”と名乗ることで、最初から「ああ、そういう人ね」と見てもらえ、「もっと気楽に生きろ」とか「いちいちそんなこと考えなくてもいいだろう」と言われなくなり、余計なことを考えずに済むようになりました。

苫野一徳
写真/shutterstock

“哲学”を志す人には、変人が多いイメージがあるかもしれません。実際はみんながみんなそういうわけでもないですが、私の場合、哲学徒になって、自分と同じようにいろんな問題を抱え、それを解こうとする人たちが古代から現在に至るまでたくさんいることを知ったことで、すごく生きやすい人生になりました。できれば苦悩に満ちた子どもの頃の自分に、「大丈夫、君は一人じゃないんだよ」と言ってあげたいくらいです。

子どものときから過敏性腸症候群に苦しめられていて、いつも下痢をしていました。1日20〜30回、トイレに駆け込んでいたから、電車にもバスにも乗れない。トイレに行けないと思うと怖くて、家の電話も取れないし、髪を切りにも行けない。

誰も自分のことをわかってくれない!

そうやってトイレで痛むお腹を抱えながら、汗をタラタラ流しているときに、人は哲学者になるんです(笑)。「なぜ自分にこんな苦しみが襲ってくるのか」「なぜこんな理不尽な目に遭わなければならないのか」と。

それが発展して「なんで生きているんだろう」という問いになり、中学生のときには、「自分のことは誰にも分かってもらえない」「いや、分かられてたまるか!」という孤独感から便所飯を始め、その後も不眠症や神経症、躁ウツ病など、数々のしんどい思いをしてきました。

苫野一徳
写真/shutterstock

その躁ウツ病を患っている20代のとき、“人類愛”の鮮やかな啓示を受けました。今からすれば、躁状態が見せた幻影だったんだと思います。でも当時は、「世界人類はすべて愛し合っていて、過去も未来も現在も、すべての人類が繋がり合って愛し合っている」という強烈なビジョンが、本当に目の前に見えちゃったんです。それで、その人類愛思想を打ち立てようと思い、大学院へと進学しました。まあ、ちょっとおかしくなっちゃっていたんですね(笑)。

ところがその後、哲学者の竹田青嗣の『人間的自由の条件』という著作に出会いました。その本には、人類愛を含むさまざまな「理想理念」が、どれだけ脆弱な思想であるかということが論じられていました。人類愛にせよ、絶対的な他者尊重にせよ、こうした「理想理念」は、世界のさまざまな矛盾を前に、ただ反動的に理想を掲げているだけである、と。問題を克服するための、現実的な条件を力強く考えることができていないのだと。

哲学によって訪れた史上最大のウツ

それを読んだときに、私は「何言ってるんだ?」と思ったんです。だって、私には人類愛の明確なビジョンが見えていたわけですから。それで、「おのれ竹田め、論駁してやる」と思い、彼の本をひたすら読みあさりました。ところが読んでいくうちに、逆に完全に論駁されてしまったのです。これは今までの人生で一番苦しい経験だったかもしれません。今まで自分が確かだと思っていた世界、思想が、自分も含め、すべて崩れ去ってしまったのですから。

実は“人類愛”は、それまでの孤独の反動から、私が無意識のうちに強固に作り上げた世界像だったんですね。これを確信することで、今までの自分の人生を何とかして立て直そうとしたのだと思います。心の病を患い、それまでの人生を苦しんで過ごしてきた。それがある日、躁状態の時に、“人類愛”の啓示を受け、すべての問題が一気に克服された。

ところが、そうやってやっと自分を立て直すことができたはずだったのに、竹田哲学との出会いでそれが全部壊れた。これは、生きている意味も、世界の意味も、すべてなくなるという経験でした。そして史上最大のウツになりました。

でも、そんな私を立ち直らせたのも、哲学でした。

哲学の一番のキモは、「物事の本質を徹底的に考え抜いて解き明かす」ということです。私が作り上げた“人類愛”は、ある意味、強烈な世界像を描くことで自分がその中に没入できる、一種の“没我体験”でした。その中にずっといられるのであれば、それはそれで幸せなことだったとは思います。でも、それができなかった。そして壊れた。

苫野一徳
写真/shutterstock

壊れたけれど、この自分の世界を壊した哲学に対して、「なんだ、このなんとも言えない威力は!?」という感覚も得たわけです。そして、「自分を壊したけれど、きっと自分を立て直すための思考の原理がここにある」と確信しました。

そして実際に竹田に会いに行って弟子になり、共に修行する日々を過ごすようになり、気づけば哲学徒になっていたわけです。

後編へ続く

取材/I am 編集部
文/岡田マキ

この記事を書いた人

岡田 マキ
岡田 マキライティング
ノリで音大を受験、進学して以来、「迷ったら面白い方へ」をモットーに、専門性を持たない行き当たりばったりのライターとして活動。強み:人の行動や言動の分析と対応。とくに世間から奇人と呼ばれる人が好物。弱み:気が乗らないと動けない、動かない。

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