コミュニケーション

「分かりあう」ために必要なのは「自分を知る」こと? 哲学で課題を解決する《哲学者・苫野一徳の哲学入門3》

ログインすると、この記事をストックできます。

苫野一徳哲学入門 役にたつ哲学

哲学って何の役に立つの?社会の問題やモヤモヤにどう向き合うか。哲学者・苫野一徳さんがそのヒントを語ります。

苫野一徳

プロフィール

熊本大学准教授苫野一徳

哲学者・教育学者。熊本大学大学院教育学研究科准教授。2児の父。早稲田大学大学院教育学研究科博士課程修了。博士(教育学)。
経済産業省「産業構造審議会」委員、熊本市教育委員のほか、全国の多くの自治体・学校等のアドバイザーを歴任。著書は『親子で哲学対話』『子どもの頃から哲学者』(大和書房)、『勉強するのは何のため?』(日本評論社)、『どのような教育が「よい」教育か』(講談社選書メチエ)、『はじめての哲学的思考』(ちくまプリマー新書)など多数。

哲学とは、ただ抽象的な思索を繰り返す営みではない。『伝授! 哲学の極意』(竹田青嗣共著/河出新書)や『親子で哲学対話』(大和書房)など多数の著書を持つ哲学者であり、熊本大学准教授の苫野一徳氏の連載第3回。哲学とは、目の前の社会の矛盾をどう乗り越えるかを考えるための、最も実践的な道具?

“すれ違い”への悩みが出発点

「私がずっと問い続けてきたのは、“多様で異質な人々が、どうすれば互いに承認し合い、共に生きられるか”ということでした」

この問いの根源には、自身の幼少期からの孤独や、周囲との“すれ違い”の経験がある。自分と違う価値観を持つ人と、どうやって一緒に社会をつくっていけるのか。その実感のなさが、苫野氏を哲学思考へと向かわせた。

そして彼がたどり着いたキーワードが、「自由の相互承認」だ。

「この考え方は、実は200年以上前にヘーゲルという哲学者が提示していたものです。人類は長く“自由”をめぐって命の奪い合いをしてきました。でも本当に平和で自由な社会を目指すならば、お互いを“自由な存在”として対等に認め合うことが不可欠なんです」

信頼の回復が相互承認につながる

苫野氏が提唱するのは、互いの“違い”を押しつぶすことなく、尊重しながら共存するというもの。その実現のためには、制度や法だけでなく、もっと根源的な“信頼”の回復が必要だという。

「相互承認には、まず“自己承認”が必要です。自分のことを認められないと、他者のことも信じられない。でも、家庭環境や社会的背景によって、自己承認が育まれにくい人もいます」

だからこそ、苫野氏は教育の現場に注目する。

「親から承認を得られない子どももいます。だから教育現場が“信頼と承認の最後の砦”になる必要があるんです。けれど、今は先生たちも、保護者や社会から承認されていない場合も多い。」

考え続けることが哲学

この“相互不信のスパイラル”をどう断ち切るか。そして、信頼と承認のスパイラルを逆回転させていけるか。それこそが現代社会に突きつけられた一つの課題であり、苫野氏が哲学を通じて向き合うテーマでもある。

「私の哲学は、“問題を解く”ことに強くコミットしています。ただ理想を掲げるだけではなく、制度的にも、実存的にも、どうしたら実現できるかを考える。それが哲学者の仕事。相互承認が可能な社会をつくるためのヒントは、すでにたくさんあります。問題は、それを“どう実現するか”。哲学は、その設計図を描くことができると思っています」

相手を認めること。そのためにはまず、自分を認めること。シンプルなようでいて、難しいのではないか?

「人間は考えることで変われる。だから私は、考え続ける道を選びました」

文/長谷川恵子

この記事を書いた人

長谷川恵子
長谷川恵子編集長
猫と食べることが大好き。将来は猫カフェを作りたい(本気)。書籍編集者歴が長い。強み:思い付きで行動できる。勝手に人のプロデュースをしたり、コンサルティングをする癖がある。弱み:数字に弱い。おおざっぱなので細かい作業が苦手。

ログインすると、この記事をストックできます。

この記事をシェアする
  • LINEアイコン
  • Twitterアイコン
  • Facebookアイコン