自分探しから始まった、人を笑顔にできるまでのハードル
ここではない何かを求めて、会社を退職 千葉県を中心にキッチンカーでコーヒーの移動販売、福笑屋珈琲FUKUMIYA COFFEEを営んでいる宮嶋望美さん。2022年4月で開業して11年目を迎えます。 大学卒業後、新卒で就職 […]
プロフィール
コーヒーの移動販売宮嶋望美
目次
ここではない何かを求めて、会社を退職
千葉県を中心にキッチンカーでコーヒーの移動販売、福笑屋珈琲FUKUMIYA COFFEEを営んでいる宮嶋望美さん。2022年4月で開業して11年目を迎えます。
大学卒業後、新卒で就職し3年で退職。
「好きなことを仕事にしよう」と強い思いがあったというよりは、どちらかというと若気の至りだったと言います。
仕事はルートセールス営業。毎日が同じことの繰り返し、ルーティーンを淡々とこなすという仕事にどうしてもやりがいが見いだせませんでした。
理想と現実の狭間で、ここではない何かを追い求めて会社を辞めたといいます。
その後、夜間の製菓専門学校に通い地元福島の知り合いから誘われてトラットリアの立ち上げを行い、デザートとドリンクを担当します。
そこで初めて珈琲の奥深さや魅力に気づき、珈琲をメインに何かできないかと考えました。
たまたまキッチンカーという移動販売の手法を知り、コーヒーの移動販売をやろうと決めます。
トラットリアを辞め、東京でイチからキッチンカーの移動販売の修行をスタートさせます。
その矢先に起こった東日本大震災。地元福島は大きく被災しました。こんな時こそ地元に貢献したいと地元に戻りボランティア活動を続けます。
辛い時こそ笑顔が必要だと強く感じ、ここに珈琲があったら一瞬気持ちが和らいだり、笑顔に出来るかもしれない。そこでも珈琲の持つ力を確信できました。
その勢いで一人開業します。
福と笑いをもたらす移動販売、そう思いを込めて「福笑屋珈琲」と名付けます。
好きを仕事にするために乗り越えた「人間関係」
再度東京でのスタート。自分だけの道を見つけて走り出します。しかし最初の3年間は思うようにいきませんでした。東京は知り合いも少なく、固定のお客さんもいない状態。とうとう家賃も支払えない状態までに追い込まれたといいます。
大学時代の友達は皆就職し、それなりの社会人生活を送っていました。自分も彼らのように就職しお金に苦労しない生き方もあったのかもしれない。次第にそのような思いがよぎりました。なんとか意地で続けたといいます。
しかし稼げなくては食っていけません。背に腹は代えられないと苦手だった人間関係を克服。次第に同業の仲間を見つけ、横のつながりで仕事を広げていきました。
今では定期的に出店させてもらえるスペースやマルシェも多く、高額な焙煎機にも投資できるまでに。ようやく生活のゆとりが出たといいます。
HPなどで問い合わせて珈琲豆を購入するお客さんも増え、珈琲豆の販売も収入源として大きく占めています。そして何よりも嬉しいのが、「福笑屋珈琲」に好んできてくれるお客さんが増えたことです。いつかはリアルなお店を開くことを視野に日々邁進しています。
珈琲を生業にする人は年々増加し、珈琲のトレンドも続いていますが、宮嶋さんは大きくスケールするよりも、顔の見えるお客さんを大事に、地域に根差した珈琲屋を目指したいと語ってくれました。
取材・文/I am編集部
写真/本人提供
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この記事を書いた人
- 「好きや得意」を仕事に――新しい働き方、自分らしい働き方を目指すバブル(の香りを少し知ってる)、ミレニアム、Z世代の女性3人の編集部です。これからは仕事の対価として給与をもらうだけでなく「自分の価値をお金に変える」という、「こんなことがあったらいいな!」を実現するためのナレッジを発信していきます。
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