Interview
インタビュー

がん患者の不安と葛藤。主治医に嫌われたらどうしよう。セカンドオピニオンを選んだ著述家・勅使川原真衣が考える主治医探し

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セカンドオピニオンを選んだ勅使川原真衣

コンサルタント、著述家として活躍するがんサバイバー・勅使川原真衣さんは転院を機に「主治医探し」の困難に直面したという。主治医とのコミュニケーションについて考える。

がん患者にとって、主治医は「命の恩人」であり、同時に「生殺与奪の権」を握る存在。患者にとって医師との信頼関係、コミュニケーションは大きな要因になります。今回お話を伺ったのは、著述家・組織開発コンサルタントの勅使川原真衣氏。輝かしいキャリアを築き、論理的な思考を持つ彼女もまた、がんの治療を続ける中で、主治医との関係性に苦悩しました。聖路加国際病院という名門から転院した先に待っていた、医師への不信感。彼女がその不安を乗り越え、どのように納得できる治療を確立していったのか、その道のりを紐解きます。

インタビューは、『後悔しない がんの病院と名医の探し方』(大和書房)を上梓したばかりの医療コンサルタントであり、がん患者のためのポータルサイト「イシュラン」を運営する鈴木英介氏が務める。

Q. 最初に診てくれた主治医は、聖路加国際病院の先生だったそうですね。どのように探されましたか?

最初に診断を受けた上野くろもんクリニックから、聖路加国際病院のブレストセンターに紹介してもらいました。そこで担当になった吉田先生は、コミュニケーションが上手なタイプではないというか、比較的無骨な、ザ・外科医といったタイプに感じましたが、質問に端的に答えてくれつつも、「他に気になることは?」と診察に時間をかける先生で、「きっといい先生に当たったな」と思っていました。

当時は、急いで治療を開始しなければならない状況でした。がんの大きさから、本当は手術の適用外だったのですが、「手術をしてほしい」と伝えると、「いいですよ」と言ってくださり、2020年9月に手術をすることになりました。吉田先生が良かったのは、術前に抗がん剤治療をするか、術後にするか、どちらでも結果は一緒だからと、「ライフスタイルで選んでいい」と教えてくれたことです。さらに、メールアドレスを教えてくれて、海外の論文をいくつか送ってくれました。それに対して私の解釈を返信するといった、診察時間外のやりとりもしてくれたんです。

私は、主治医を「信じるために選ぶ」というよりは、信頼できる人だと確信できるように、自分でも情報を集めていったという感じです。

Q. そこまで個別のやり取りをしてくれる先生は、なかなかいないですよね。ところが、その後、都内から実家のある横浜に戻り、病院も転院したことで、今度は主治医に不信感を抱かれたとか。

はい。聖路加に通い続けるのが難しくなったため、地元の病院を紹介してもらいました。

ところが、最初に紹介された専門医に診てもらったところ、私が飲んでいた分子標的薬「ベージニオ」を知らなかったんです。さらに、保険適用になっていることも知らず、「そんな高い薬を飲んでるの?」と半分笑いながら言われました。

その医師の専門医としての力量に、いささか疑問を抱きました。さらに、診察室は壁がなく、カーテンを隔てた隣で大腸がんの手術の説明が聞こえてくるような、野戦病院のような外科病棟にも衝撃を受けました。

Q. 「ベージニオ」を知らないというのは、専門医ではあり得ないレベルですから、それは不安になりますよね。そこで、セカンドオピニオンを取りましょうという話につながるわけですが、その時の主治医はどんな反応でしたか?

主治医に「セカンドオピニオンを取りたい」と伝えると、「どうせ同じこと言われるだけだろう」「そんなに行きたいならいいけどね」と、予想外の言葉を投げられました。

その時、「ああ、生殺与奪の権を握られている」と感じました。主治医に嫌われたら、ちゃんと診てもらえないんじゃないかという不安がよぎったんです。でも、そこで変な反応をされたことで、やはりこの先生は信頼できないと確信し、転院を決断しました。勇気を出してセカンドオピニオンを求めて本当に良かったと思っています。

Q. 主治医との関係性は別として、病気との向き合い方で、落ち込んだりしたことはありましたか?

落ち込みはありました。特にがんの告知の直後はネットで「体験談」を調べてしまったんです。病院が公開している手記なども含めて、たくさん読みました。

そうすると、芋づる式に似たような人のブログを見てしまうんです。そして、「あ、なんか2年後に更新が止まっちゃってる」とか、本人が亡くなり夫が代わりに書いた「生前は妻を……」といった記事を見つけてしまって。あれは、自分で穴を掘って入っていくような感じでした。

「見るな」と言われても、不安な時は見てしまうものです。病気は「終わりじゃない」。そう心では理解しつつも、やはり落ち込むことはありました。

Q. 抗がん剤治療もされていますが、副作用による影響は、身体的・精神的にも辛かったのではないでしょうか?

化学療法に関しては、もう「やるしかない」という感覚でしたね。最後まで完走しようと心に決めていました。ただ、回を重ねるごとにしんどさや痺れがひどくなっていくなど、化学物質が溜まっていくのを如実に感じました。もちろん、髪の毛は1か月ほどでつるつるになり、吐き気で無性にスパゲッティナポリタンだけが食べたくなる(!)なんていう経験もしました。

化学療法室はカーテンがなくオープンな空間なので、運命共同体のように他の患者さんと顔を合わせることが多かったんです。中には、毎週会っていたのに来なくなってしまった若い子などもいて、「亡くなってしまったのかな」などと、不安になることもありました。それでも、看護師さんが「人の話を聞くプロ」で、精神的な支えになってくれました。

文/長谷川恵子

この記事を書いた人

長谷川恵子
長谷川恵子編集長
猫と食べることが大好き。将来は猫カフェを作りたい(本気)。書籍編集者歴が長い。強み:思い付きで行動できる。勝手に人のプロデュースをしたり、コンサルティングをする癖がある。弱み:数字に弱い。おおざっぱなので細かい作業が苦手。

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