2児の母、勢いで「未経験開業」

「安定志向」も会社と折り合いがつかず、トランクひとつで起業
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プロフィール / Ruco

鹿児島県生まれ。福岡県久留米市を拠点に、赤いトランク一つの本屋さんを経て、ワーゲンバス仕様の移動式本屋「るーこぼん」を2018年よりスタート。2児の母。栄養士・調理師・製菓衛生師(パティシエ)免許を持つ。

Twitter @ruunyanko

赤いワーゲンバス風に改造した軽ワゴン車で、福岡県久留米市を拠点に町中に現れる移動式本屋・るーこぼん店主・Rucoさん。本屋さんになる以前は会社で上司とぶつかったり、人間関係で苦しんだり、納得のいかない仕事にモヤモヤしたり…かなりの生きづらさを抱えていました。そんな日々の中で1冊の本をきっかけに人生が180度変わり、本屋さん開業を目指すことに。

▼目次
Rucoさんの活動写真
心も頭も「安定」を望んでいた(はず)

子供の頃にお店屋さんごっこをしている時から、絶対自分は商売をしないしできないから、自分のお店を持つことはないんだろうなって悟っていました。その頃からどこかにお勤めするってことしか考えてなかったんです。

今思えば、当時母が看護師をしていて、一緒に暮らしていた祖父も営林署に勤めていたんです。周りの子の家もみんなどこかに勤めていたから、自分でお店屋さんや社長になる選択肢になかったのかもしれないですね。
社長とか代表とかって、テレビの中の話だと思っていました。

栄養士になりたいなと思って高校は調理科に入って、専門学校も栄養士の専門学校に入ったんです。文系とかではなくて、手に職をつけてしっかり就職できるような道を選んでいました。

栄養士を選んだのは、ごはんで人を元気にしたいと思ったからなんです。
給食委託会社に就職、晴れて栄養士になったものの、栄養士はなかなかブラックでした。

最初は調理場でパートの方たちとひたすら調理をする仕事。
次に配属されたところで栄養士らしい仕事を任せられましたが、人手不足で、朝の5時から夜の9時までずっと現場にいて、1か月の休みが3日しかなかったり、残業代もちゃんと出なかったりして、手取り8万くらいの生活だったんです。さすがに体を壊してやめてしまいました。

馬鹿真面目で頭の固い理想主義者の苦しみ

ご飯で人を元気にしたいと思って始めたのに、会社から言われた範囲内で献立を作るとなると、冷凍食品や加工食品とかを大量投入しないといけない。それは違うと思って。患者さんにとっての唯一の楽しみであるお食事がこれでは…とすごく悶々としていました。病院にもともといる栄養士さんも同じ考えで、会社の方針との板挟みになってきつく当たられることもありましたね。

夢破れた次はOLになろうと思って(笑)

安易な気持ちで、通販会社に転職。企画販売の部署で栄養士だったっていう理由だけで健康食品担当に。そこで、商品の企画もするんですけど、毎月送るDMやチラシのラフとかを書かせていただくようになったんです。
会社にいるときって、当たり前のことなんですけど、社長とか上司の考えを反映しないといけないところもあって、自分がどんなにお客様のことを考えても、経営者としては売り上げのこととか利益のことだとかを考えないといけない。よく会社と対立してしまったりぶつかってしまったりしました。会社の利益の追求とお客様のことを考えることは両立することは難しいんだってそこで知りました。

周りの人はすごくうまくやっていたんですけど、私はゴルフができなかったし行こうとも思わなかったので断っていましたし。多分私は頭が固く、馬鹿真面目だったというか、要領悪かったんですね。それでかなり生きにくかった。若いときはちゃんとした本も読んでなかったですしね。
だからだいぶうちのめされたというか、世の中のちょっと苦い部分を一気に経験しましたね。

フリーランスになって自由になれたと思ったら

2度目の退職後、お世話になっていたデザイン会社さんからのライターをしてみたらというアドバイスで、ライターの道に進むことになりました。これまでの組織の中での生きづらさからは解放されたんですけど、自由になったら自由になったで、見通しが甘かったというか。

最初の頃は、手当たり次第に見つけた仕事に飛びついていっていました。
アフィリエイト目的の健康情報記事なんかも書きました。当時福岡にあったママライターのコミュニティに顔出すようになってからは、女性起業家の取材で記事を書かせていただいたのがきっかけで、福岡の起業女性の方々のゴーストライターとして、ブログを代わりに書いたりしていましたね。
ありがたいことに、いろんな方がいろんなところでつないでくださってお仕事が広がっていきました。

「まっすぐに生きていいんだ」と教えてくれた1冊の本

やっと自分らしく仕事ができるようになったと思っていたのですが、また変な悪い癖が出ちゃったんです。案内文を書いているセミナーとかも、ちゃんとしたものばっかりじゃなかったので、子供に寂しい思いさせて、毎日こんなイライラしてまで私は何を書いているんだろうかってちょっとモヤモヤし始めてしまったんです。考え出したらもう止まらなくなってしまいました。

人に嘘をついてだますような文章を書くことが耐えられなくて、割り切れないというか。融通が利かなかった。

そうやってモヤモヤしていたときに出会ったのが、東京都江戸川区にある書店「読書のすすめ」の清水店長の本。読んで、もっと本を読まなきゃなって思ったんです。それでその本で紹介されている本を片っ端から読み漁っていたんですけど、まっすぐ夢や志を追っかけてる人の本がすごく多かったんですね。

不器用で馬鹿真面目だけど“私はまっすぐ生きてもいいんだ”ってすごく勇気をもらったんです。

仕事として割り切るのも時には大事だけど、私の文章を読んで元気になったり、幸せになったりとか、いい方向に行くような文章が書きたいって想いに、素直になっていいんだって思ったんです。
頭が固くて、生きづらさを抱えてきた人生が、ふっと楽になった瞬間でした。

私自身、たった1冊の本を読んで、こんなに変わると思ってませんでした。
本って「ぴしゃっとしなさいよ」って言ってくれる本もあれば、「ちょっと肩の力を得てフワッとやりなよ」みたいな本もあって。右に傾きかけたらちゃんと今度は真ん中に戻してくれるような本があるんです。これまで世の中の両極端を経験したからかもしれないんですけど、自分のちょうどいいところが見つかってきました。

失敗したら、お金は少し失っても自分は傷つかない

本を買い漁ってめちゃくちゃ読んでいる姿を見た知り合いが、「そんなに本読むなら本屋さんになればいいのに」って言ってきたんですよ。それで、「あ、そっか、本屋さんになればいいんだ」って思ったんですよね。
本読んで、それが仕事になるなら最高じゃない?って。

読書を通じて生きやすくなってきたときに、本で学んだことや、「こんな本を読んだらいい」っていう提案を誰かに伝えたいと考えていました。最初はライターの枠の中で考えていたんですけど、その知り合いがライターの外側から言ってくれたので、本屋さんになって伝えればいいって気が付いたんです。
「読書のすすめ」も、お店に来た方の話を聞いて悩みに合わせた本をオススメしているんです。そのことを聞いたとき、本を通して人を元気できる人がいるんだなって衝撃を受けたんです。
私もそういう風になりたいと思いました。

もちろん失敗したらどうしようってめちゃくちゃ考えましたが、でも失敗したら最悪パートに行けばいいやって思っていたんです。お金の失敗はパートをすれば取り戻せるからいいやって。もともと地元を離れていたので、私のこと知らない人ばっかりだから失敗したとしても自分が傷つくことはないだろうなって思ったんです。怖いものなんてなかった。

本屋開業を具体的に模索し始めた時、女性起業家交流会にちょこちょこ顔を出していたんです。そこで「どんな本を置くんですか」って聞かれたので、持ってった方が早いなと思って、赤いスーツケースいっぱいに本を詰めたのが始まりです。スーツケースを選んだ理由はただ「重かったから」ですね(笑)

その時に、トランク一つの本屋さんなんですねって言われて、「あ、それいいですね」って。それからは起業家交流会に行くときに本を紹介したりとか、あとは本を選んでほしいっていう人に、その人に合わせておすすめの本を紹介していました。大きな宣伝はしていなかったので、知り合いの人に頼まれてました。当時はまだ新刊の仕入れができていなかったので、自分が読んだ本を貸す形でした。だから利益はゼロで、本貸して感想を聞いて、お茶おごってもらってほっこりするところで終わってました。

それを2年くらい続けていました。ライターを完全に辞めたわけじゃなかったので、ライターでいただいたお金を全部つぎ込んでいました。
お金的なところで成果も全然出てないけど、その2年間でなんとなくできるなっていうところがつかめたんです。

もちろん「ほとんどボランティアで私何やってるのかな?」って思ったこともありました。でも、そう思い始めたころから、「家で読書会していいよ」とか、「マルシェに出てください」って言ってくださる方が出てきました。さらに、これまでは自分が読んだ古本でやっていたのが、子供の文化普及協会さんから新刊も仕入れられるようになったんです。

いきなり借金、そして夢の移動式本屋

2年間はスーツケースを引っ張りながら、「本屋さんやるならお店かな?車かな?」と思いながら過ごしていて、みんなからはこの人動かないのかよって思われていたと思います。

そんなある日、仲良かった方とのインスタライブで、「この子、来年ワーゲンバス買って移動本屋さん始めるから」って紹介されて、「あ、私来年ワーゲンバス買うんだOK」みたいな。その一言でやるしかないって思ったんです。ちょうど2人目を妊娠中で、大きなおなかで金融機関に行きました。

その年の3月に子供を産んで、6月には融資が下りて、軽ワゴン車を購入。工場にカスタムをお願いして12月に納車。1回目のマルシェがなんとその2週間後。
本棚どうしよう!ってなったんですけど、プロに頼む時間もないし、父が大工さんだけど遠くて呼べない。でも赤ちゃんいるし大変!ってなって、とりあえず子供を抱っこしてホームセンターに行って本棚を組み立てて何とか間に合わせました。

Rucoさんの活動写真

2人目は生まれたばかり。はじめての借金。でもガツガツ動いたっていう感覚は全然なくって、まわりの方に動かしていただいたっていう感覚が強いんですよね。

売っているものが自分が生み出したものだったら、多分自信なくしてたと思うんですよ。
でも、本って他の方が書いてて、素晴らしいからこそ世に出ているわけであって、それが売れないわけがないし悪いわけがないっていうのが自分の中にあったから、自信もって人に勧められた。

最初は選書は「読書のすすめ」さんにお世話になっていたので、その影響が強かったんです。それもあって間違いないと自信を持てたんです。
今お勧めできる本だけでも、うちのクローゼットが満杯になっちゃうくらいはありますね。

気づいたら生まれていた新しい人とのつながり

ワーゲンバスで本屋さんを始めてから、子供がちっちゃかったのもあって、おんぶしながらできる限界でやっていると、やっぱり普通の本屋さんと比べられたときに、どうせ主婦のままごとでしょみたいな感じで言ってくる人も来始めたんですよね。逆にそれが、ここをこうしようとか、もっとこうしようという工夫につながったので、いいスパイスがきき出したなっていう感じでした。

それに本屋さんって全然もうからないんです。うまくいっても微々たるもので。本屋さん始めてから一回も黒字になったことはないんです。でも楽しいからいいかなと思っています。

今のところ仕入れには自信があるので、もうけがなくても本は悪くないと思っているんです。これまでは、子供が小さくてブログが書けないけど、もっと時間できたら、いろいろできることがあるのでは?と思っています。

それに、ここまでくると、応援してくれる人が増えているんです。だからここでやめたら申し訳ないと思っています。出版社や著者とやり取りできる機会も増えている中で、私自身出版社や著者のファンになってしまって頑張ってしまうんです。

私が本を渡したい人たちがいる

まだまだ本がガバッと仕入れて売ることができないから皆さんに申し訳ないなと思いながら毎日過ごしつつ、恩返しできてないからやめられないという気持ちで続けています。
私が本屋さんやめても、何も変わらないかもしれないけど、私から本を渡したい、応援したい人もいるんです。
本にかかわる人々に恩返しをしたいです。本に携わる人々がどれ一つ欠けても本って成り立たないことを身に染みて感じているから、まだ辞めたくないなと思います。

これからやりたいのは、今はコロナで難しいですが、キャンプしながら全国回りたいんです。長野県の栞日さんがやってるアルプスブックキャンプを九州でやるのが夢です。初めて知ったとき、あまりに素敵すぎて栞日さんに思わずメールしてしまいました。福岡で大きい本のイベントはあまりないので、どかんと本が楽しくできるイベントをやりたいと思っています。

本っていろんな可能性があると思っています。いろんなものとコラボできるし無限に幅があると思ってます。