絶望の達人、子どもの頃から哲学者

“哲学では飯は食えない”は半分ほんとう、半分うそ!?
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プロフィール / 苫野一徳(とまのいっとく)

1980年生まれ。兵庫県出身。哲学者・教育学者。熊本大学教育学部准教授。著書に『子供の頃から哲学者~世界一おもしろい、哲学を使った「絶望からの脱出」!』(大和書房)、『はじめての哲学的思考』(ちくまプリマー新書)、『勉強するのは何のため?』(日本評論社)、『教育の力』『愛』(講談社現代新書)、『「学校」をつくり直す』(河出新書)など。

Twitter @ittokutomano

「私たちにとって労働とはいかなる意味があるのか」を哲学的思考で見てみたら……。「働くこと」と「生きること」について思考をめぐらさなかった人はほとんどいないと思います。長い歴史を振り返れば、多くの哲学者がこの難問に臨み、普遍的な答えを導きだしました。今最も注目を浴びる哲学者・苫野一徳さんに、働き方の哲学を伺いました。

▼目次
子どもの頃から哲学者

私は現在、熊本大学教育学部の教員をしながら、哲学者をしています。この“哲学者“と名のれることを、とてもありがたく感じています。というのも、私は小学1年生ぐらいからずっと「なんで生きてるんだろう」「なんで生まれてきたんだろう」ということばかり考えていたので、周りの友だちから

「ハイハイ、もう面倒くさいことはいいよ」

と言われ、それによって孤独感にさいなまれてきたから。だから、“哲学者”と名乗ることで、最初から「ああ、そういう人ね」と見てもらえ、「もっと気楽に生きろ」とか「いちいちそんなこと考えなくてもいいだろう」と言われなくなり、余計なことを考えずに済むようになりました。

“哲学”を志す人には、変人が多いイメージがあるかもしれません。実際はみんながみんなそういうわけでもないですが、私の場合、哲学徒になって、自分と同じようにいろんな問題を抱え、それを解こうとする人たちが古代から現在に至るまでたくさんいることを知ったことで、すごく生きやすい人生になりました。できれば苦悩に満ちた子どもの頃の自分に、「大丈夫、君は一人じゃないんだよ」と言ってあげたいくらいです。

子どものときから過敏性腸症候群に苦しめられていて、いつも下痢をしていました。1日20〜30回、トイレに駆け込んでいたから、電車にもバスにも乗れない。トイレに行けないと思うと怖くて、家の電話も取れないし、髪を切りにも行けない。

誰も自分のことをわかってくれない!

そうやってトイレで痛むお腹を抱えながら、汗をタラタラ流しているときに、人は哲学者になるんです(笑)。「なぜ自分にこんな苦しみが襲ってくるのか」「なぜこんな理不尽な目に遭わなければならないのか」と。
それが発展して「なんで生きているんだろう」という問いになり、中学生のときには、「自分のことは誰にも分かってもらえない」「いや、分かられてたまるか!」という孤独感から便所飯を始め、その後も不眠症や神経症、躁ウツ病など、数々のしんどい思いをしてきました。

その躁ウツ病を患っている20代のとき、“人類愛”の鮮やかな啓示を受けました。今からすれば、躁状態が見せた幻影だったんだと思います。でも当時は、「世界人類はすべて愛し合っていて、過去も未来も現在も、すべての人類が繋がり合って愛し合っている」という強烈なビジョンが、本当に目の前に見えちゃったんです。それで、その人類愛思想を打ち立てようと思い、大学院へと進学しました。まあ、ちょっとおかしくなっちゃっていたんですね(笑)。

ところがその後、哲学者の竹田青嗣の『人間的自由の条件』という著作に出会いました。その本には、人類愛を含むさまざまな「理想理念」が、どれだけ脆弱な思想であるかということが論じられていました。人類愛にせよ、絶対的な他者尊重にせよ、こうした「理想理念」は、世界のさまざまな矛盾を前に、ただ反動的に理想を掲げているだけである、と。問題を克服するための、現実的な条件を力強く考えることができていないのだと。

哲学によって訪れた史上最大のウツ

それを読んだときに、私は「何言ってるんだ?」と思ったんです。だって、私には人類愛の明確なビジョンが見えていたわけですから。それで、「おのれ竹田め、論駁してやる」と思い、彼の本をひたすら読みあさりました。ところが読んでいくうちに、逆に完全に論駁されてしまったのです。これは今までの人生で一番苦しい経験だったかもしれません。今まで自分が確かだと思っていた世界、思想が、自分も含め、すべて崩れ去ってしまったのですから。

実は“人類愛”は、それまでの孤独の反動から、私が無意識のうちに強固に作り上げた世界像だったんですね。これを確信することで、今までの自分の人生を何とかして立て直そうとしたのだと思います。心の病を患い、それまでの人生を苦しんで過ごしてきた。それがある日、躁状態の時に、“人類愛”の啓示を受け、すべての問題が一気に克服された。

ところが、そうやってやっと自分を立て直すことができたはずだったのに、竹田哲学との出会いでそれが全部壊れた。これは、生きている意味も、世界の意味も、すべてなくなるという経験でした。そして史上最大のウツになりました。

でも、そんな私を立ち直らせたのも、哲学でした。

哲学の一番のキモは、「物事の本質を徹底的に考え抜いて解き明かす」ということです。私が作り上げた“人類愛”は、ある意味、強烈な世界像を描くことで自分がその中に没入できる、一種の“没我体験”でした。その中にずっといられるのであれば、それはそれで幸せなことだったとは思います。でも、それができなかった。そして壊れた。

壊れたけれど、この自分の世界を壊した哲学に対して、「なんだ、このなんとも言えない威力は!?」という感覚も得たわけです。そして、「自分を壊したけれど、きっと自分を立て直すための思考の原理がここにある」と確信しました。
そして実際に竹田に会いに行って弟子になり、共に修行する日々を過ごすようになり、気づけば哲学徒になっていたわけです。

2500年の英知をインストールする

竹田の弟子の修行は、まず主要な哲学書をすべて読むことから始まります。最初の2〜3年で、プラトンなど古代から現代の最新哲学まで、大事なものはほぼすべて読むのです。読み終わったら1冊について3万〜5万字ほどのレジュメを作り、それを持って竹田と議論する。それを週に1〜2回、丸1日行なった後に飲み会に突入するわけですが、その飲み会でもずっと議論をする。本当に片時も休むことなく、文字通り哲学漬けの毎日を送りました。

人類が思い悩むことって、意外に似たりよったりのところがあるんです。そしてそんな問題の中には、2500年の哲学の歴史の中ですでに解かれているものも多い。だから古代から現代までの哲学書を全部読めば、今自分が考えている問題についても、何をどう考えれば問題は解けるか見えてくるんです。

「下手な考え、休むに似たり」で、ただぐるぐる考えていても、どこにも行き着かない。でも、2500年の哲学の英知をインストールすることで、「もう解けていたんだ」と気づく。その思想のリレーのバトンをちゃんと受け取り、哲学者たちがどんな問題をどう解いてきたかを知り尽くすことで、誰も解いていないような問題に挑んでいくことができるんです。
そして何よりも、このときの修業で、「ちゃんと一歩ずつ積み重ねていけば答えは出る」という感触をつかむことができたこと、これが今の自分の支えになっています。

そうやって哲学を学ぶことで、自分の問題の本質を理解し、それをどうすれば解いていけるかが分かるようになり、自分なりに “人類愛”を内省したときに、

孤独を埋めたい欲望だった

ということをはっきり自覚しました。
哲学に『欲望相関性の原理』というものがあります。「我々は自分の欲望に相関的に世界を認識している」という考えですが、これを知ったときに、「結局、私は自分の孤独を何かで埋めたいという欲望があって、その反動で人類はみんな愛し合っているという幻想を描き出した」という本質に気づいたんです。

この“本質”が分かれば、問題の半分は解けたようなもの。
なぜなら、私達が苦しんでいるときは、そもそも何に苦しんでいるのか、その“本質”が分からないことが多いから。だからその本質が分かり、それを自覚するだけで、思考をどこに向かわせればいいか、どう行動すればいいかが見えてくるのです。
とはいえ、自分の抱えている問題の本質を見ることは、つらいことでもあります。私の“人類愛”も、本質が分かってから手放すまで、数年かかりましたから。

哲学をやっても飯は食えない

「哲学をやっても飯は食えない」とはずっと言われていることで、師匠の竹田青嗣も30歳までフリーターでしたし、彼の元に集まってくる、熱い思いを持った哲学徒たちも、みんな将来に不安を抱えています。大学における哲学教員のポストが少ないということもありますが、そもそも学問の世界で仕事を得るのは、運不運も大きく作用します。

私の場合、大学院の博士課程のときに、日本学術振興会の特別研究員になることができ、3年間はなんとか哲学三昧でも食いつなぐことができました。が、その後は就職先が決まらず、結婚して子どもが生まれたこともあって、本当に「これはまずいな」という時期がありました。そんなときでも、哲学を諦めるという選択肢はありませんでした。

師匠の竹田が私の結婚式のとき、妻に「一徳は哲学しかできない奴だから、これから苦労もするかもしれないけれど、理解してやってくれ」と言ってくれたのですが、実際、竹田の元に集まるのは、みんな哲学をしないと死んでしまうような人たちばかりです。

だからこそ、自分の切実な哲学的関心を、とことんそれにのみ集中して探求できる今の仕事は、私にとって天職だと思っていますし、同時に、多くの人が同じような問題に関心を持ち、「なるほど、こう考えればこの問題が解けるんだ」と感じてくれるのは、本当にありがたいことだと思っています。

哲学者になる前は、恥ずかしながらミュージシャンや小説家、“人類愛教”の教祖さま、教育事業など、さまざまことを目指したり、実際にやったり、いろいろあがいてきましたが、やっと哲学に出会って自分らしくいられる、一番しっくりする生き方だと思えるものにたどりつけました。それまでは本当にバランスが悪くて、哲学のおかげでやっと統合されたという思いがあるから、もうそれを手放すという考えはありませんし、もし仕事にならなかったとしても、自分の大事な探求として、仕事とはまた別にやっていたと思います。

多様性を認め、自由を守る「相互承認」

哲学が探求するのは“絶対の真理”ではなく、

「なるほど、その考え方は本質的だ」

と、みんながうなってしまうぐらい、徹底的に考え抜かれた物事の“本質”です。そうやって導き出された“本質”を底に敷いて、それにまつわる問題を解いていくということが哲学であり、哲学者の仕事だと私は考えています。

私にとって最も重大で、子どものときから何とかして解きたいと思ってきた問題。それは、「多様で異質な人たちが、どうすればお互いに承認し合い、了解し合うことができるか」ということでした。そして、この問いは、現代の人類や社会にとっても切実な問題でもあると感じています。

この問題については、すでにヘーゲルが200年以上も前に、「自由の相互承認」という考えを示しています。

人類は1万年以上もの間、「自由」をめぐる命の奪い合いを続けてきました。でも、もし私たちが、そんな戦争をやめ、平和で自由な社会を望むのならば、「自由の相互承認」の原理に基づく社会を作り合っていくほかにない。お互いを対等に「自由」な存在として認め合うことを、一番大事なルールにした社会を築くほかないのです。

とすれば今度は、この「自由の相互承認」を実質化するための具体的な方策を考えていかなければなりません。法や政治、そして教育はどうあるべきか、など。私自身は、これまで特に教育についてさまざまな提言を行ってきました。

考えるべきは、そうした制度的なことだけではありません。もっと、いわば実存的な条件も考えていく必要があります。

そのある種の究極的なテーマとして、前に『愛』(講談社現代新書)という本も出しました。「愛」とは何か、それはいかに可能かを明らかにした本です。もちろん、20年前のあの“人類愛”とは何だったのか、その問題にケリをつけるというモチーフもありました。

ただ、「愛」って、別に誰もが到達しなければならないようなものでもないんです。多様性の共存のためにもっと大事なことは、やはり「相互承認」です。

「相互承認」ができる、つまり他者を承認できるためには、まずもって自分のことを認められるのでなければなりません。そうでないと、人に対しても不信ばかりが先立ってしまいます。

じゃあどうすれば自分のことを認められるようになるのか。

できるなら、子どもの頃に親から絶対的な信頼と承認を与えられる必要がある。でも、それができない親も多いし、親のいない子どもだっている。

だからこそ、保育や教育の現場が、「信頼と承認の最後の砦」になる必要があるわけです。でも、今度はその先生たちに対して、保護者や世間は十分な信頼や承認を示せていない。

今、いたるところで相互不信のスパイラルが渦巻いています。それでは、多様で異質な人たちの「相互承認」は難しい。

どうすれば、この負のスパイラルを、相互承認や相互信頼のスパイラルへと逆回転させていけるか。

すでにアイデアはたくさんありますが、それらをちゃんと実現していくことも、これからの一つの仕事だと考えています。